時をかける表象

東京大学文科2類。記事と日記に分かれてます。

手段が目的へ転化する弊害

2018/12/10 月曜日

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今年も日本一の漫才師を決める大会、M-1グランプリが開催された

もう細かい説明はしなくてもいいような大会だと思う

所々しかリアルタイムで見なかったが、録画したものを数回見た感想としては、放送後の事件も含めてスゴイ大会になったなと思った

スゴイ大会というのは、規模に関してもそうだけど、まるでオリンピックかと思うほどの影響力を帯びた大会になったなという

いやもっと言えば、W杯のサッカーの主審やオリンピックのスケートなどの採点競技の審査員と違って、この大会の審査員は誰もが知っている著名人だし、誰にどういう理由で何点をつけたのかを明らかにしているわけだから、本当にスゴイ大会だと思った

まず具体的なネタの感想は別にして、今大会の特徴としては大きく分けて三点あると思う

一つは、放送時間が拡大されたということである

放送時間が拡大されたことによって、ほぼ全員の審査員にコメントを求めるようになった

審査員も別の審査員と全く同じことを言うと沽券にかかわるから、どうしても独自の視点の入ったコメントや他者との差別化を図るための点数を付けざる得なくなっているような気がした

審査員同士で牽制しあったり、誰かが辛口な批評をしてしまうと、それに被せる形で辛辣なコメントをしてしまうと言った感じ

実際去年のM-1終了後のラジオで博多大吉先生は「他の審査員が低く付けてくるだろうと思ったから高めに付けた」なんて発言もしているわけで、やはり採点や講評をするにあたって、ネタと直接的に関係のない審査員間での駆け引きみたいなものが作用しているように思えた

まぁこれは以前からある話だけど、今年はよりそれが強かったように感じた、という話

二つ目は、会場の空気が重かったことである

これは一つ目の話とも絡んでくる話だが、1組目の見取り図、2組目のスーパーマラドーナと、決勝の10組の中であまり面白くないものが前半に出てきて、それに対して審査員のほぼ全員がキツいコメントをしたことによって、客の緊張度が増した気がする

というか、この2組は面白くなかったわけじゃなくて、M-1の客に合ってないネタだと思った

見取り図の「あたおか」はいつも使っていることを知ってる人からすると笑えるけど、見取り図を知らない人からするとちょっと意味がわからないし、オール巨人が講評で言っていたように、マルコ牧師の伏線も初見だとそれと気付かず見失ってしまう

見取り図の今までのネタの中でウケた部分を盛り込んだつもりなんだろうけど、接続に時間を取られて笑いの数は少ないし、なんか全体として世界観が完結してなかった気がした

見取り図らしいけど良さが出ていないというか

でもトップバッターで緊張せずに出来ていたことと、いつも噛む盛山がノーミスで出来たことは凄かったと思う

あとスーパーマラドーナは、途中でスベるはずの田中のボケで笑ってしまう客がいたりして、なんか心地よく笑えないムードを作ってしまったのが惜しかった

「このギャグを舞台でやるんですけど、みんな動かなくなるんです」って言うけど、いや実際スタジオで笑ってる人普通にいるけどな、って冷めてしまったのは多分自分だけじゃないはず

田中が扉をバーンって閉めて、二重ロックかけるところは爆笑したけど、だからこそ余計に出オチ感が強かった

面白くないとは言わんけど、なんかいつもに比べてかなりクオリティが落ちたな、と思った

まぁ終始武智がサイコパスを演じたのと、その後の上沼恵美子の講評も相まってかなり会場が重くなってしまった

何気に松本人志のフォローも武智の感情を逆撫でするような結果になってしまった気がする

最後に、この大会に気合いを入れすぎる人間が出てきたことである

特にスーパーマラドーナの武智とゆにばーすの川瀬名人の執着心は異常で、実際川瀬名人は緊張からか冒頭でがっつり噛んだり、ネタの選択もミスってたりして見てられなかった

本当はこの大会は通過点なのに優勝したら引退するとかいう人間が出てきている時点で、大会自体の性質が変わってきていると思った

M-1で優勝しても売れるとは限らないし、M-1で優勝してない人間が売れることも多かったりする

M-1はあくまでもどれだけネタが面白いかどうかという観点で順位を競うものだけど、今日のテレビにはネタを披露する場がそんなに多くないわけで、大事なのはネタが終わってから今田耕司や審査員とのクロストークや、暫定ボックスから去る時に何をするか、どこまで爪痕を残せるか、だと思う

その点でいうと、スーパーマラドーナの田中は暫定ボックスで会場の空気を盛り上げ続けていたし、それに乗っかったミキの亜生も爆笑を取っていた

トム・ブラウンの2本目のネタは加藤一二三が土の中から出てくるという発言を聞いて、YouTubeなどで探して見た人も多いと思う

過去の大会では、去年のカミナリとか何年か前の笑い飯の西田の「ここから1歩も動かんぞ!」「おもてたんと違うーー!」なんて発言は今思い返しても笑えるし、インパクトがある

サンドの富澤が講評で何度も言っていたように、ネタでは表現しにくい人間味のある面白さを表現するのがこの場面だと思うし、実際にテレビに出ることを考えればこの場面での面白さが実戦的な面白さだと自分は思う

それなのに、スーパーマラドーナの武智は採点結果が出た時に苛立ちを隠せていなかったし、敗退が決まった時も、スポーツ選手の引退試合かと思うようなコメントを残し、最終的には「俺が1番M-1のこと思ってんねんぞ!」みたいないつもの捨て台詞を吐いて席を立っていた

ゆにばーすの川瀬名人今田耕司の軽いノリに、血走った目で食いついていてネタ以上にスベっていたし、なんか何がしたいんだろうって思ってしまった

おまけに放送終了後に武智はとろサーモンの久保田と上沼恵美子の審査について暴言を吐いていたわけで

これらは全て、M-1に対する思いが強すぎるからだと思う

本来漫才師に限らず芸人というのは舞台上での芸で観客に訴えかけなければならないのに、テレビ局はM-1の歴史や歴代チャンピオンが栄冠を掴むまでを毎年30分くらいのドラマ仕立てにして番組冒頭に流すし、本気で優勝したいと強く思いすぎて余裕のない状態で漫才している人を見ると、見ている側としても落ち着いて見れない

この大会は知名度を上げるためのチャンスを与えるもの、いわば手段であるはずなのに、これが目的だと捉える人間が増えたせいで、ただの漫才の賞レースが世論を巻き込む採点競技へと変質した

実際漫才の賞レースはM-1以外にも多くあるが、自分も含め、多くの素人や芸人がブログやラジオや、あるいは休み時間の教室で話題にあげて激論を交わすことになる大会はこの大会しかない

それほどまでにこの大会の規模は大きくなり、採点競技へと変質してしまったため、誤審は許されなくなってしまった

当初は10年間という約束で試験的に始まった大会が、厳密な採点基準を要する競技へと転化した弊害がここに露呈し始めていると思う

漫才は点数をつけるものではないという常識を蹴飛ばしてその地位を築いた大会が、その常識の正しさを証明することになるというのは、なんとも皮肉な話である