時をかける表象

東京大学文科2類。記事と日記に分かれてます。

見えない幸せが首を絞める

2018/12/01 土曜日

 

恋に落ちて受験に落ちるという話は世間にありふれているが、なんとなく自分は今年も落ちるような気がする

というか自分にとって受験は幸せになるための手段であるのだけれど、なんか合否に関わらず幸せになれない人生を歩む気がする

いや、模試の成績的には今までで1番いいから合格する可能性も上がっているはずだけど

振り返ってみれば、中学のとある段階から彼女やそれらしい存在がいない時といる時とが大体半分くらいだけど、自分が自分の結果に満足している時は大体そんな存在はいなかった

大竹しのぶと結婚していた時の明石家さんまがスランプに陥り、離婚後に絶好調になったと言われるように、自分にとって恋愛と実績はシーソーの両端にある

恋愛面や友人関係が上手くいっている時は、もうそれだけで十分幸せだから、他に部活で結果残そうとかテストでいい点取ろうなんてことは考えられない

むしろそれらに対する体面や体裁に気をとられるが余り、自分のしたいことが疎かになってしまう

むしろ誰かと別れたり、周囲の人間の風当たりが強い時の方が相対的にいい結果は得られやすい

神様は、目に見える幸せと目に見えない幸せの合計が一定になるようにしているのだろうか

そして自分が優しすぎるのも原因だと思う

例えば彼女から電話がかかってきた時に、自分が何かをしたいと思っていても、上手く言いくるめて自分の意見を押し切ってしまうことに罪悪感を覚えてしまう

かといって「今から勉強するから後にしてほしい」と口にした時点で、どうもやる気がなくなってしまうし、「あっ、そうか、ごめん」って言われたら、またなんか冷たい奴と思われたかな、ちょっと電話してくれてもいいのにって思ってるんだろうななんて思ってしまう

もっと言えばなんでこんなことを自分の口から言わないといけないのかという感じに腹立たしさが襲ってくる

自分が適当な成り行きで生きていけるタイプだったら話は早いんだけど、どうも自分だけ変に気を遣っているような感じがしてくる

友達が多いとか彼女から愛されているとかいう目に見えない幸せだけで十分満足して生きていけるタイプだったら話は早いんだけど、肩書きとか学歴とか目に見える幸せも欲しいと思ってしまう

目に見えない精神的な幸福のために彼女は必要だけど、結局幸せを実際に掴むのが自分自身である以上、目に見える幸せを追い求める上では彼女や友達といった存在は足枷になることもある

もちろん助けになることもあるだろうけど、実際その人の何気ない一言がプレッシャーになったり、要点を全く得ていない発言にイライラすることもある

ヒーローインタビューで「ファンのおかげで、」なんてことを言うスポーツ選手は、本心でそう言っているのか疑問に思う

もちろんファンは応援してくれるけど、スランプに陥ったら普通に叩いたりするし、逆に「最近調子悪いみたいですけど、頑張ってください!」みたいなファンの応援がプレッシャーになっているはずなのに

結論として目に見える幸せを掴むためには、目に見えない幸せを蹴り飛ばして前に進む必要があるが、目に見えない幸せと目に見える幸せの両方が揃って初めて自分は真の幸福が得られるわけだから、その両方を共存させない限り幸せになれないと思う

しかも好きになることを我慢はできないから、結果として目に見えない幸せだけを肥大化させて取り繕ってしまって、そういうその場しのぎの幸せを真の幸せだと思い込んで年月を経た後、結局残るのは虚しさだけなんじゃないかと思う

これらを理解して自分と良好な関係を築き、目に見えない幸せを与えつつ、目に見える幸せへの追求を阻害しないということができる人はいないのだと悟った

それほど自分の性格がめんどくさくて、求めている幸せのハードルが高いのだとも思った

まぁ自分的には世間一般の理想が低いだけだと嫉妬も込めて言いたくなるのだが