時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

【「年相応」の生き方】

2018/10/28 日曜日

 

「年相応」という概念を無視してはいけない

恋人も友達もいないような学生時代を送り、青春から1番遠いような猛勉強の末、医者や政治家になり、40歳を過ぎた頃に先生と崇められるようになった男が、したたかで下劣な女とのスキャンダルで失脚するのを聞くたびに、それを実感する

血の滲むような努力の末に手に入れた権威が魅力的なだけだと気付かないのは、ただ単にその男に免疫がないからである

社会で大成したはいいものの、バカな男だからそれすらも奪われる

それほど博識なのに、危ない恋に溺れてしまう

 

子供の頃に全くゲームをしなかった人間が、大人になってゲームを始めると子供以上に熱中してしまうことがある

まず、子供の頃にゲームのしすぎで失敗した経験がないから自分がゲームにハマりすぎるとどうなるかを知らない上に、それに対する対処法も知らない

金があるから文字通りゲームを大人買いすることも出来てしまうし、もっといえば子供の頃にやっていなかったゲームに大人になってハマっているという背徳感さえも後押しして抜け出せなくなるのだ

これが、ゲームに関して年相応に生きなかった人間の末路である

これは前の男の恋愛にも当てはまるし、別の人間が年相応に生きこなかった事柄全般に当てはまる現象である

 

なにも大人になって年齢を追い上げることだけが悲惨なことではない

幼少期からゲームをやり始めている人間は小学校高学年にはほぼ全てのパターン、ジャンルのゲームをやり尽くしているだろうし、早い段階で性交渉に及んだ人間は現実離れした妄想にふける同級生を冷めた目で見ることになるだろう

しかもゲームは年々簡単になっていっているため、中学校に入る頃には、ラージャンなら5分もかからずに狩れるし、3日もあればドラクエ9終わるし、攻略本の地図なんて見なくてもどこに宝があるかぐらい感覚でわかるようになる

新作ゲームに対するワクワクやドキドキも失せ、未だに楽しそうにゲームをやってる同級生が疎ましくて、ちょっと羨ましくて、自分が先に進んでいるのに自分だけ取り残された気分になる

性交渉を経て破局、その後の欠席裁判で登校拒否の文字が頭によぎるほど周囲からのバッシングを受けるという一連の流れを比較的早い段階で経験した人間は、手を繋ぐまで3ヶ月かかるような別のカップルに対して穿った見方をとってしまう

やけに大人ぶっている同級生に対して、一種のもどかしさを感じるし、ふと我にかえって、そう思っている自分にさえも気持ち悪くなってくる

過ぎたるは猶及ばざるが如し、である

年齢を追い越しすぎると、周りの同世代がうすら寒く思えてきて、結局のところ置いていかれることになる

だから「年相応」の生き方をするべきだ

 

あくまでも協調性を重んじるならの話だが