時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

いきなりステーキ

2018/09/02 日曜日

 

今日は全統記述模試があるらしい

受けてないけど

受けた方がいいのかなと毎回思いながら、値段や時間と成果が見合ってないんじゃないかと思って受けずにいる

そして夏休み最後に「いきなりステーキ」に行った

f:id:wimper458913:20180903012029j:image

 

立ち食いが普通らしいけど、今日行ったところは普通のカウンターだった

割と並んだから全然いきなりステーキじゃなかったけど

何グラムで、と注文したら店員さんが目分量でカットして重さをはかるタイプの店

250gでと言って275gくらいに切ってしまったら、「どうされますか?」と聞かれる

そこで首を横に振れば、25g分くらいのはみ出し者が誕生してしまう

そのはみ出した肉はどうなるのだろうか

店員の目分量の誤りのせいで捨てられてしまうのだろうか

本当かどうかは知らないが、奇形児が生まれた時、その場にいる医療関係の方からこっそり死産扱いにするかどうかという類のことを尋ねられるらしい、というのを聞いたことがある

そういうことはおろか、結婚や出産すら経験したことがないから、真相はわからないし、全くの迷信や誤解の可能性も十分あるけど

というか希望的観測とか抜きにして嘘だと思っているけど

モラルや倫理の問題は現実をどこまで許容できるのだろうか

どこまで強要してもよいのか

 

この店の店員さんに、名札の趣味の欄に「趣味:海外で働くこと」と書いていた人がいた

中肉中背、丸顔で愛嬌のある女の店員、歳は20代前半

四度見くらいして確かめてしまった

趣味が海外で働くこと、えっ、じゃあなんでこの街で働いているの、と聞きたくなった

いやここで資金を調達して、いつかは海外で働く!というならわかるが、それは趣味じゃなくて目標だし、そもそも趣味って仕事以外の時にするものなんじゃないか?趣味が働くことで、その趣味のために今働いているってことなのか?なんてことを、その数度にわたる視線の反復横跳びの間に考えた

本当に文字というのは不思議だ

彼女は適当に軽い気持ちで書いたのかもしれないし、自分が思いつかないほど単純明快な思いで書いたのかもしれないのに、こうも見ている人を惹きつける

「趣味=海外で働く」という等式は理解できるが、その真意が理解できているとは言えない

昨今のワイドショーでは、謝罪会見で放たれた表現の揚げ足を取って考察する場面が多い気がする

あの場面でさぁ、こう言うならまだしも、ああやって言っちゃうんだから、ねぇあれどういうこと?みたいな偉そうな感じでアシスタントに対して怒りをあらわにして視聴者の同調を求めている

曖昧な表現に厳しい時代ではあるが、その曖昧さにこそ奥ゆかしさなんてことがあるんじゃないか、と思ったりもする

世知賢い人が多くなって、本当に世知辛い世の中である