時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

当たり前だけどね

2018/07/16 月曜日

 

喧嘩をすると、仲直りするのが面倒くさくなって、またどうせ仲直りするまでが予定調和の喧嘩を繰り返す未来に嫌気が差して、そのまま普通に生きていたら、気がつけば古くからの知人は誰も周りにいなくなってしまった
でも今はそれでもいいと思えてくる
これは交友関係の焦土作戦だから
退路を断つことで得られるものがあると思うから
何の生産性もない馴れ合いに勤しみながら、誰からも嫌われないように生き続けるのがこの腐った社会の常識なのかもしれないけど、それなら別に社会不適合者でいいとさえ思っている
多分中3の夏ぐらいからずっと躁が多めの躁鬱病で、誰かと真の意味で心を通わせてみたくて、でもずっと幸せになれないままこの歳まで来てしまった気がする
発展途上国の青年に比べれば恵まれている方なのかもしれないけど、地位も名誉も金も美貌も頼れる友人や恋人も好感度も帰るべき場所も満足いく称賛も今までほとんど手に入れたことがなくて、特にこれといって悪いこともしてないのになぜかずっと苦しい状況に追い込まれているような気がする
これなら、誰も聞いていないところで大して忙しくもないのに口を開けば時間がない時間がないと叫ぶような専門学生の方がよっぽど幸せそうで、結局自分は人生が上手くいっていてもそうでなくても幸せになれないんじゃないかと思えてくる
というか、自分が幸せになることを望んでいない人が常に自分の隣にいるような気がしてくる
失敗してもドンマイで済ましてもらえるような八方美人の腑抜けもいれば、成功しても許されない馬鹿な男もいるのが世の中であって、結局嫌われ者は結果を出し続けるしか生き延びる方法はないんだろうなと改めて気付かされた
今の自分にはそうした結果を残せていないことも納得した
じゃあせめて実績だけでも人一倍残してやろうと頑張ってみたけど、世間に選ばれなかったことが鬱になった原因で、それから5年近くほぼ無気力な状態で生きてきたけどようやく今になって目が覚めた気がする
例えば今までの友人とか恋人とか学校とかが悪いわけじゃなくて、誰かと一緒にいたり、何かの集団に属していたりするだけで満足な幸せが得られると思っていた自分の認識が甘かったのだと思う
端的に言えば声のない他人をあてにしすぎていた
時としてそれらを全否定してしまったこともあるかもしれないけど、自分が求めているのは馴れ合いや安定と対極にあるもので、それを手にするのは自分しかいなかったと今になって気付いた
絶対的に楽しいカラオケボックスなんてものが存在しないのと同じで、要は自分しかその空間を楽しいものにできないということを知っていたはずなのに、一瞬の優しさに触れてしまったことで一人の人間として弱くなってしまったのだと思う
だから自分は将来何かで成功したいと思う
誰も何も言えないほどの、文字通り文句なしの実績を残したい
将来失敗するだとか、負けたらいいだとか言われ続けてきたからこそそう思う
突き進めばいろんな人がいろんなことを言うし、勝手に踏み台にされるのは経験上知っているけど、それでも60点の人生を100点だと思えるほど盲目じゃないから、どこまでも突き抜けてみたい
自分なりに幸せになりたい