時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

自分自身をゆるがせにしない

2018/07/14 土曜日

 

結構久しぶりにこの場に戻ってくる

それは模試があって忙しかったからもあるけど

書きたいことと書かなきゃいけないような気がすることとがせめぎ合って、鬱陶しく思っていた気がする

どんなことを書いていて、どんな口調で、どんな流れで書いていたのかすらも忘れてしまっている

けど20歳の節目に、記憶が新しいうちに今までのこと、今思っていることをできるだけ正確に書いていきたいという当初の目的を思い出させてくれる何かがあった

字数が長くなっていって、書いても書いても書き足りなくなって、でも物騒な世の中だからモラルとプライバシーが書き手の意欲を阻害して、どうしたらいいかわからなくなってしまった部分もある

とりあえず適当に書く

このスタイルを忘れない

多分自分は比較的恵まれた環境で、いろんなものに恵まれて生まれてきたと思う

そんな自分を指差して、幸せそうだと笑う人が結構いたし、代わってほしいという人までもいた

本当はなにも知らないくせに

でもそれは当たり前

だって良いところしか表面に浮かび上がってこないから

幸せそうだと思われるようなところしか見せてないことが大半だから

隣の芝生が地球よりも青く見えるのと同じで、表面しか見せてないし、表面しか見ることができない

だからそんなこと言う人に罪はない

でもそんな人の言葉に耳を貸してはいけない

無知な人間の無責任な言葉に正しさを見出すようになったら自分が自分じゃなくなってしまう

良い文章書くねとか、この日記を読んだら元気が出る、ためになるなんて言葉をかけてくれると当然嬉しい

嬉しいけど、それらを目標にしちゃいけない気がする

名前も知らない誰かの声をあてにしちゃいけない

多数派の声に埋もれて自分を見失う人はなにをやってもダメだと思ってる

これは決して否定的に捉えているんじゃなくて、肯定的に、冷静に判断している

結局誰も助けてくれない

助けを求めることが必ずしも悪いとは思わないけど、一つだけ言えることがある

助けをあてにしている時点で、あてにしていない時よりも人間として弱い

どんなことがあっても自分自身をゆるがせにしない