時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

ファーストはオンリーじゃない

2018/07/05 木曜日

 

休講だった

台風が接近しているらしい

ほんとかどうか知らないけど

昔のことを振り返ってよく思うのが、ナンバーワンが1人じゃないということに気付くのが遅すぎたということ

例えば自分は陸上の800mと1500mで全中に行ったが、兵庫県から毎年100人近く全中に行く人が生まれるわけだし、大会で1番だった時もあったけど、別に中距離以外にも種目はあるし、もっと言えば陸上競技以外にもスポーツはあるし、さらにもっと言えばスポーツ以外にも1位を決める大会なんていくらでもある

1位を取ったという実感だけが一人歩きして、あたかも自分が世界で1番かのように錯覚してしまっていた気がする

今日もいろんな場所で、いろんな種類の1番が生まれている

地元でトップの進学校に入学すると、その学校が1番偉いなんて勘違いする人もいるけど、それは勉強では1番かもしれないけど、音楽で有名な学校やスポーツで有名な学校に進学した人も当然いるわけで

トップ校という言葉の響きが誤解を招いている気がする

なにも勉強だけに限らず、県で1番サッカーが強い学校も、1番歌が上手い学校もトップ校だと名乗っていいはずだ

もしかしたら、わざわざこんなことを言う必要がないくらい当たり前なのかもしれないけど、少なくとも自分が所属してきた集団ではトップ校といえば1番の進学校のことを言っていた

批判するわけではないが、オリンピックで金メダルというと本当に称賛に値するけど、1回のオリンピックで金メダリストは何人も生まれ、それが何十回と行われてきたという歴史を考えると、1人のメダリストがなんだか大したことないように思えてしまう

本当は8位入賞でも十分すごいのに、種目によっては叩かれるし

かといってじゃあ金メダリストがとてつもなく偉そうにしていると、それはそれで違うと思う

もちろん日々鍛錬に励んで競技力と精神力を向上させてきた金メダリストがそんなことをするはずもないが

要はどこを基準にするかで評価は変わる

絶対評価なんてものはないと思っている

絶対的な基準が相対的だと思うから

だからせめて自分の中で満足がいく結果を残したい

過去の自分は見ている世界が狭かった

井の中の蛙そのものだった