時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

RADWIMPS 神戸参戦

2018/06/26 火曜日

 

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今日はRADWIMPSというバンドのライブに行った

ずっとずっとこの日を楽しみにしていた

チケットが外れて本気で落ち込んだし、友達の友達の友達くらいまで声をかけてなんとかチケットを確保した時は本当に嬉しかった

まずはチケットを譲ってくれた人に感謝したい

もしかしたらもう会うこともないかもしれないけど絶対この恩は忘れない

そしてRADWIMPSというバンドそのものに感謝したい

間違いなく自分の人生に大きな影響を与えている

小学5年生の時、おしゃかしゃまを聞いて存在を認知した時からずっと自分の脳内にはRADWIMPSが存在している

これは間違いない

もちろん他のバンドも好きだし、バンドのこととか考えられないほど他の何かのことについて悩んだり、深く考えたりしてそれどころじゃないって時も少しはあっただろうけど、間違いなく自分の現在の思考回路にはRADWIMPSの歌詞や野田洋次郎の考え方が混じっていて、その時々で熱量そのものは違うかもしれないけど、ずっと頭の片隅で声を鳴らし続けている

間違いなく、自分はこのバンドが好きだったし、今でも好きだし、これからもずっと好きだと思う

このバンドが自分にとっての青春であり、原点であり、アイデンティティの根源である

このバンドは自分に、自分に正直でいることの勇気を与えてくれた

このバンドはいつも、どんな時も表現したいことを表現している

お金や世間体のことだけを考えるなら出さない方が良かったんじゃないかと思うような曲も出していると思う

例えばへっくしゅんとか狭心症とか五月の蝿とか洗脳とか

でも自分はこういう曲の方が好きかもしれない

陽の曲と陰の曲で大別するなら、陽の曲はRADWIMPS以外にも素晴らしいアーティストはいると思う

でももちろん陽の曲もRADは素晴らしくて、でも陰の曲も共感する部分が多々あって、陽と陰とで人間が成り立っているということが思い知らされる

陽だけでもダメだし、陰だけでもダメ

どちらもあるから人間味が深くて、陰の部分があってもいいんだよって教えてくれた気がした

今回の曲は大変な物議を醸している

心無い人が勝手なことを言って、お互いがお互いを正義と思っている争いの本質が見えてきた気がする

野田洋次郎がライブで言ったように、自分も全く政治的な傾倒や立場もなく、どちらが正しくてどちらが間違いだと言うつもりも、言えるほどの素晴らしさもない

自分の気持ちに正直でいることの代償は大きい

今日のライブは、最高だった

自分が好きな発展途上からもいっぱい歌ってくれたし、古くからRADのファンでよかったと思う局面が多かった

今までライブで直接聞いたことがない曲も歌ってくれたし

でも所々で、洋次郎大丈夫なのかなという気持ちになる局面もあった

歌詞を間違えるというか、リズムに乗れてないというか、どこか上の空だったように感じた

それは年齢的な衰えというより、精神的なものに起因する気もした

あくまでも憶測の範疇だけど

セミファイナルということで疲れが溜まっているのかもしれないけど

途中で神戸は落ち着くと言っていた

メンタルが持たないから大きな声で歌ってほしいとも言っていた

どの地域でも言うリップサービスなのかもしれないけど、神戸に来ると毎度、神戸は落ち着くという言葉を野田洋次郎は言う

もしかしたら故郷と同じ港町だからシンパシーを感じるのかなと思ったり

自分がRADWIMPSに支えられているように、自分もファンの一員として彼らを支えたい

あんなに悲しい顔でMCをする彼を見たくない

C-2の最前列のど真ん中で、本当にしっかりと彼らの姿を目に焼き付けた

誰がなんと言おうと自分はこのバンドが大好きだ

世間体とか馴れ合いとかじゃなくてただただ純粋に彼らの人間性、音楽性が好きだ

自分が最もプラトニックな愛情を彼らに注ぐことが自分の免罪符のような気もしてくる

また会いたい

というか絶対会いに行く

自分のことを知っているはずもないけど、少しでも力になりたい

もっともっとRADWIMPSが好きになった