時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

脱線のパラドックス

2018/06/20水曜日

 

帰宅してポルトガルとモロッコの試合を見る

帰宅する前にいろんな話をしたり聞いたりしたけど

どっかの予言者が明日地震があるとか言ってるとか、無謀な告白は諦めを与えてくれるとか

例えば電車で隣に座った人と話す会話はどこで会話をしているのだろうか

心で話しているというほど深い間柄ではないし、頭で話しているというほど内容の深い話ではない

これといった内容もなくダラダラと話し続けるとき、時間は風のように過ぎ去っていき、後から思い返せばなんだったんだあの時間はという感じになる

しかし、例えば眠い目をこすりながら誰かと深夜まで電話やLINEをしたり、別に今見なくてもいいのに撮りためたドラマを夜が明けるまで見たり、それで次の日めっちゃしんどかったりして、後から考えれば意味がないようなそんな行動こそ生きているなぁという実感を与えてくれる

脱線こそ人生とも言える気がする

現に今、ポルトガルとモロッコの試合について書こうとしているのに話は大幅に脱線している

ちゃんと最初から最後まで見て、モロッコ意外と実力あるなぁなんて感想もいっぱいあるのに、である

脱線した話が本筋のような気もして、それが交互に入り混じって伏線が生まれて、その伏線の回収がまた新たな伏線を残して、そうやって人生が紡ぎ出されるように思える

誰かを愛そうと思えば思うほどその人を傷つけてしまうのと同じで、しっかり話そうとすればするほど話は脱線する

後悔しないで生きようと思えば思うほど回り道してしまうといった経験があるのは自分だけであろうか

機械的な処理に長けている人工知能はきっと脱線したりしない

逆説的な話になるかもしれないが、脱線することで人間味が増し、それが人間の本質へと変わっていくのだと思う