時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

パウロの回心

2018/06/17 日曜日

 

今日は一日中家にいた

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最近はこれにハマっている

森永のヨーグルトキャラメル

確か100円でめちゃめちゃ美味しい

二箱目はキツイけども

何故かコナンとコラボしてるけど

小5のとき塾の旅行で青山剛昌ふるさと館に行った思い出がある

コナンの作者で、原画とかも見れた

中国地方最高峰の大山にもみんなで登って、鳥取と岡山の県境の地点に到達した時に友人の1人が立ちションしたのも覚えている

どっちの県に向かってするか迷うわ、とか言っているのを見ながら、こいつアホやなーって思ってた

確か休み時間にDSのマリオカートを100連戦くらいしたのもこの合宿だったはず

中学に入るやいなやバカみたいに真面目で卑しくなったあの子も当時はゲームを楽しめるだけの精神的余裕があったように思える

自分の中でその塾は学校よりも楽しかった

それがクラスメートと違って毎日顔を合わせなくていいからなのか、そこそこレベルの高い生徒が集まっているからなのかは知らないが

小学4年の冬期講習からその塾に通い始めて、それまで学習塾に通ってなかった自分は自分の能力の高さを実感した

元々小学校で授業というものを受けた時から、隣の席の子よりは高い水準にあるなと思っていたけど

恥ずかしながら、でもこれは本当に事実だからあえて言うけども、小学校のある時点まで自分は神様の子供なんじゃないかと思っていた

こう言うと厨二病患者がイキっているみたいだが、例えば小学生にもなってロクに本読みもできない子や、極端に足が遅い子を見て、なぜ自分と同じようにできないという疑問がずっと頭上を回っていた

要は能力や才能という概念が自分にないから、自分が神様の子供だと思うことで、その疑問を解消しただけの話である

自分は神様の子供だから早死にする、と1人で泣いたことだってある

何かに恵まれた人は何かで損をしてプラスマイナスゼロに収束すると子供ながらに知っていたのだと思う

自分が恵まれた存在だということがバレたら悪者に殺されてしまうと思って、授業ではわかっていても発表したりせず、わざとかけっこでもギリギリで一位になるくらいを目指していた

今思い返してみると、なんとも可愛げのある子供だなぁと思う

自分がこんだけできてしまっては、できない人に対して可哀想だと思っていたのである

こう言ったことを母に話すと、「能ある鷹は爪を隠す」ということわざを教えてもらったりして、さらにこの爪隠しは加速していくことになる

しかし学習塾に通い始めてこの考えは劇的に変わった

その塾では、テストの点数が校内、市内に分けてズラーっと壁に貼り出される

それを見て「あーあいつ今回何点か」「やっぱこいつ賢いな」なんて話をみんながしているという公立小学校ではありえない光景

正直度肝を抜かれた

初めて受けたテストで確か市内で一位を取った、いやもしかしたら校内だったかもしれないけど、とりあえず自分と他人の点数が貼り出されて比べられる

その時に自分は自分の能力が高いことを自覚するとともに、できることは悪いことじゃないと思った

できるキャラで押していこうと思った

この初めて受けたテストの成績表を、初めて母親とじっくり眺めた

ここはなんで間違えたのか、とかも含めて

学校のテストなんてほとんど満点で、順位や分野別の点数なども出ないし、偏差値も成績表もなかったから

俺はやれるぞ、みたいな雰囲気が現実味を帯びてきたし、それまでよりも貪欲に自分の能力を高めようとする姿勢を隠さずに済むようになった

低いレベルを冷めた目で見つめることから脱却して、上を次々と見るようになった

俗にいう意識付けというものである

この塾に入ってからの数週間の変化が自分にとっての原点なのかもしれない