時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

「昔」の語源

2018/06/04 月曜日

 

昔のことをぼんやり思い返す

そういえば何回も日記つけようとしたよなとか

今回はなんとか続いてるなと思う

ただ起きて予備校行って帰ってくるだけの、言ってみれば単調な毎日の割には

ここに書けないこと、書けば長くなることもいっぱいある

今のことも昔のことも

「向く」の他動詞形「向かす」

これの名詞形「向かし」が「昔」の語源と考えられているらしい

もちろん諸説はあると思うが

つまり「昔」=「(私たちを)向かせるもの」
よくよく考えてみれば「未来」や「過去」は「未だ来てないもの」「過ぎ去ったもの」と書くわけだから、人間はもともと未来の方を見ていて、時間が前から後ろに流れていく、というのが昔の人々の時間の捉え方だと推測できる

多分今の人もそうだと思う
本来は未来の方を見ているはずの人間を後ろに向かせるもの
それが「昔」であり、思い出である

その思い出が必ずしも良いこととは限らない

嫌なことでも振り返ってしまうこと、ちゃんと向き合わなきゃいけない過去

全ての自分を縦一列に並ばせたとしたら、過去の自分は現在の自分の背中を常に見ている

今の自分が誰かの背中を見て育ったように

誰かの過去が今の自分

自分がなりたい姿になっている誰かが常に存在する

それはまた自分もそう

夢番地の最後、「明日はきっと明日をきっと迎えにいく」

全ては連続性の上に成り立っている

過去の自分から現在の自分

現在の自分から未来の自分

もっと大きくいえば世代から世代へとバトンを渡していく

未来の自分はもっと未来の自分に

何十億年前から何度も子孫を残し続けて今の自分がある

子孫を残すために生まれ、それが叶えば死んでいくような時代もあったと思う

それらの過ぎ去っていった事実に目を向けさせるものを昔の人は「昔」と名付けた

ぼーっとダラダラ過ごしていても未来に歩いていってしまう、死に近づいてしまうような悲しすぎる世界の中で