時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

2018/05/28 月曜日

午前11時30分

ある男は電話が鳴るのを待つ

彼は28歳、冴えない小説家の卵

今日は国内有数の文学賞の発表日

受賞者には今日の正午に電話がかかってくる、らしい

彼がその電話を待つのは今年が初めてではない

受賞すれば賞金がもらえるし、小説家としての箔がつく

だが彼にとっては、もう1つ大きな意味合いがあった

それは長年連れ添った彼女との婚約

三十路手前になってそろそろ結婚しなよと男の母に急かされていたものの、賞を受賞して小説家として飯が食えるようになるまでは、と思っていた

というより小説家の卵では相手方の親が結婚を許してくれないだろう、というのが本音だった

 

正午になった

電話はまだ鳴らない

今年もダメか、という考えが頭の中をよぎる

3日分くらいの鼓動が一気に押し寄せ、心を落ち着かせるためにベランダでコーヒーを飲む

カップに描かれたスターバックスのロゴが微笑んで見える

外を見れば、空を自由に飛ぶ鳥

空の奥行きを感じて気持ちの整理もつきそうになる

 

その時電話が鳴った

男は急いでコーヒーを起き、震える手で受話器を取る

 

彼女の父だった

「どうだった?」という第一声

「まだわかりません、」とお茶を濁す

そうか、と電話を切り、無音の部屋に大きなため息がひとつ

数年前、彼女の父に結婚の申し出を伝えに行ったことがある

「娘さんを僕にください」という出来合いのフレーズを男が言うと、彼女の父は意外にもこう言った

「君には小説家という夢があるだろう。それに向かって一生懸命努力するだろう。しかし小説家として生計を立てられるのはほんの一握り。時には苦しい時もあるはずだ。だから私に時間をくれ。そんな苦しみに耐えて、君の夢を一緒に追えるような人に娘を育てるまでに数年の猶予をくれ。」

してやられた、という気分だった

何が何でも結婚の了承を得ると意気込んでいただけに、こういう断られ方をされたら反論できない

それから数年経った今、彼女の父は男が受賞するのを今か今かと待っている 

彼女の父もさぞ後悔していることだろう

 

彼女と出会ったのは高校のとき
彼女はどちらかと言えば控えめな性格で、教室の片隅で本を読んでいるような女の子
教室のカーテンがふわりとめくれる横で、女友達2人で談笑しているようなタイプで、異性と関わりを持つような人ではなかった
男も幼い頃から読書を趣味としていたのもあって2人は徐々に話すようになっていったが、高校卒業後には別の大学に進学することになっていた
卒業式の帰り、古ぼけたスナックの前で「成人式までに彼氏ができなかったら僕と付き合ってくれ」と切り出したことが交際のきっかけだった
「そんなこと言わずに今日から付き合おう」と彼女に言われて

 

そんなことを考えながら時計を見ると12時を30分以上まわっていた

もうそろそろ小説家の夢を諦めよう

賞をとることが結婚の条件だと明確に言われたわけではないが、なんとなく男も彼女もその父もそう思っていて、底なし沼に足を踏み入れてしまった状態のようだった

いつまで経っても賞は取れないし、彼女と結婚して幸せにしてあげられない

かといって今さら別の職について不安定な生活を強いるくらいなら、いっそ彼女と別れてしまった方がいいのではないかとすら思えてくる

今までの数年間はなんだったんだろう

小説家として名を馳せることを夢見てきた自分だったが、最終的に残ったものは何もなかったなどと思いめぐらしていた

今年も落選したという含めた以上のことを彼女に伝えようと思った

落ち着いた部屋に小さなため息がひとつ

 

 

その時、電話が鳴った