今日は高校時代の自分をTwitterで知っていたという男の子と話した
結局名前すら知らないのに1時間近く話してしまった
しきりに彼が言っていたのは「実際に話してみて意外と普通なんだなと思った」みたいなことだった
DMできた質問に答える、みたいなハッシュタグをすると決まって「お風呂に入ったりするんですか?」「本気で人を好きになることはあるんですか?」とか聞かれる
俺をなんだと思っているんだ、と言いたくなる
「俺が担任からなんて呼ばれてるか知らないのか?」
『え、なんて呼ばれてるの?』
「斎藤さんだぞ」
このくだり、高校の時に腐るほどしたのを思い出した
こうやって話が脱線するからダラダラ初対面の人と長時間話してしまう
なんでそんな話が長いんやと言われ、しまいにはもう黙れよって言われることも多いけど、それはしょうがない
だって人が笑うから
でも実際会って話してみたら予想と違った、という意見はよく聞く
しかもTwitterよりも普通に話してる方が面白いとも言われる
Twitterだけ見ていたらただのヤバイ奴ということでもあるが
自分がTwitterを始めたのは中3の11月
それから高校卒業までに4000人近くのフォロワーを獲得した、というと自慢のように聞こえてしまうかもしれない
割合でいうとフォロワーの半分以上が同じ県内の高校生か陸上繋がりの人
まぁ受験繋がりの人も同級生のお母さんも塾の先生もいたけど
今確認したけど、高2の誕生日にはちょうどフォロワーが2000人超えたくらいで、確か高1の最後には1000人超えてた気がする
拡散力って本当にすごくて、1000人から一気に3500くらいまで行った気がする
でもフォロワーが増えても自分自身は変わらなくて、もっと言えば変わるもんかと思ってたから最終的には没落したんかなとも思う
要は変わりゆく世間のニーズに適応しなかったという話
高校入学の時、当時の面白い先輩にエラそうに絡んでいってセンセーションを起こし、学生の話題の中心に躍り出た自分は、先輩らが卒業した後、ただの「エラそうな先輩」になってしまった
先輩に向かって「おいお前な、」とダメ出しをするから面白みがあるのであって、後輩にダメ出ししてもただのイヤな先輩になってしまう
そしてアカウントの規模が大きくなって影響力が増すうちに、なにも知らない人が横から口を出すようになった
なにも知らないくせに「勉強しかできんくせに」とか「異性と話したことない奴が女を語るな」とか
でも相変わらず自分に求められているのは「みんなが言いにくいことを言うヒール役」で、実際自分も人より短気でズバッと本人に言ってしまうタイプだからどうしようもなかった
アカウントが小規模なうちに好き勝手やって、それがウケてアカウントが大きくなると、いろんな方面から批判が出るようになってコンテンツがつまらなくなる現象を「ゴールデン進出」と呼んでいる
深夜番組だからこその過激さがウリだったのに、という番組はいっぱいある
そんな現象に陥ってたまるかと思って、自分の思うままを書き続けたら、ありもしない噂まで立ってしまった
テレビが初めて家庭に普及した時、おじいちゃんから子供までテレビに釘付けだった
でもテレビがあることが当たり前になった、言い換えればテレビがありふれた途端に、出てくるのは不平不満ばかり
テレビが普及した時代よりもはるかに番組の規模も選択肢も大きくなったのに、「最近のテレビはつまらん」という言葉が出てくる
テレビがつまらなくなったんじゃない、お前の目が肥えてしまったんだ、と言いたい
もしかしたら世界の全ての発明が出揃った時が1番不幸な世の中かもしれない
人々のニーズは日々変わっていく
それに対応し続けたものだけがコンテンツ力を保ち続ける
プライドが高い自分にはその適応力がなかったし、適応しようとする柔軟さもなかった