時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

2018/05/22 火曜日

バスを待つ時、あんなにも不安になるのはなんでだろうか

ほんとは時間きっちりにくるはずなのに、全然来ない気がして、あれもしかしてもう行ったのかとか思ったりもして

次のバス停まで歩いてやろうとか思いだして、でも結局そのバスそのものが遅れてるから着く時間は一緒なことに気付いたりして

自分は雨の日にしかバスに乗らないけど、いつも乗る人はPiTaPaを使ってる

高齢者の方もPiTaPaを使ってて、未だに現金で運賃を払っている自分と好対照なんじゃないかとか思ってる

けど、大きな声で運転手に絡んだりする老人を見ると、うわーやってるなーっていう感じになる

病院に集まってる老人の1人が「あれ、今日○○さん来てないね」って言ったときに、もう1人が「体調でも崩したんやろうか」と返答したのを聞いたときに、ここは体調を崩したときに来るところなんじゃないかなと思ったことがある

古い時代を支えた人々を全否定するつもりはないけど、これはどうなのかと思うことがよくある

スクーターに乗った老人の後ろで信号待ちをしていたとき、信号が青になってもその老人は全く進もうとせず、赤に変わった瞬間に尋常じゃないスピードで右折していった老人

目をつぶって全力疾走し続けるみたいなゲームでもしているのかとさえ思う

それは老人と最後のともしびなのだろうか

だったら消すなよ、という話

しかしこれが自分の未来なのかと思うと悲しくなってくる反面、愛おしさすら感じる

平成ももうすぐ終わって平成生まれが古い風潮が出てきたときに、そっちにかなり近づくことになる

もうすぐ行くよとか言いながら抵抗し続けたい

若いうちにいろいろしときたい