時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

2018/05/21 月曜日

今日もまた言い争い

人と人が本質的にわかり合うことはできないって何年も前から知ってる

そもそも生まれた場所も、家族構成も、両親の考えも、影響を受けた人物、周囲にいる人も違う

好きなこと、したいことや物の価値観、幸せの定義、されて嫌なこと、過去の経験や知識

何もかも違うし、違ってていいと思う

自分じゃないから惹かれる部分はあるし、自分は自分自身と結婚しないから

理解できないことを必ずしも否定的には捉えない

それは一種の諦めであり、寛容さとも結びつく

人間は誰かと深く付き合うことで成長する

それは付き合う中で前話したような人間力が向上するから

悔しい思いや悲しいこと、傷つけられたり、傷つけたり、あるいは誰かの死や不幸に直面して人間が成長するように、神様は誰かと愛し合うことで成長する部分をのびしろとして人間に与えたのだと思う

だから誰とも付き合わず、誰の愛情も受けずに育った人間はその分の成長が足りてない

あえて理論化して言うならば、人と深く付き合う中で人間は2つのことを無意識のうちにしていると思う

野球で例えるなら、ストライクゾーンを広げることと、相手がストライクゾーンに入るようにリードすることである

相手の考えを寛容することと、自分にとって負担にならないように相手の考えを変えさせること、とも言える

対人関係が失敗に終わるとき、その2つのどちらかができていないことが多いし、そこのバランスが難しい

100%を誰かのために生きることも、100%を自分のために生きることも素晴らしいとはいえない

前者は自分を、後者は他人をもっと大切にしろと思う

じゃあ何パーセントくらい自分勝手でいいのかという話

 

真の愛とはお互いを認め合うことだと言う人もいる

もちろん誰かを理解して、その人そのものを正しく理解することは大事である

しかし真の愛はそこで終わらない

その理解や認識を経て、相手の考えを浮かび上がらせ、自分と触れ合ったことで相手の人間味さえも増幅させる必要がある

真の愛とはお互いを変容し、向上させることである