時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

2018/05/18 金曜日

例えば親とか親友とか恋人とか先生

揉めることはある

いっぱい言いたいことはある

ここは日記

いいことも悪いことも書きたい

書かなきゃいけない

けど本人は見てるし、他人も見てる

個人間での話を全て公にしていいとは全く思わない

先生にとって生徒は1年に何百人もいるし、生徒だって学年が変われば担当は変わる

恋人だって生涯1人じゃないし、友人だってお互い何人もいるうちの1人

それは個別に見れば唯一無二の存在、その名前のその先生は1人しかいない

けど時や場合が変われば唯一無二の存在ではない

恋人といえどもその人だけとしか話さないわけじゃないし、1人以外友達じゃないというわけでもない

しかも友達みたいな先生もいるし、先生みたいな恋人だっていていいと思う

要は違う見方もできるということだ

友達としての人物評価と、同じ部員としての人物評価、そもそも人としての人物評価がそれぞれ違っていい、というか違うはず

しかも、もっと言えば、人はやがて死ぬ

でも自分は死なない

息を引き取るまでずっと一緒

1人の時も、あなたが違う人と話して違うところにいる時も

俺はずっと自分とふたりぼっち

それが他人のせいとは思ってない

集団でマラソンのレースをする

「みんなと同じ速さで走りたい」という意識が集団のペースを速くする

「みんなよりもちょっとだけ速く走りたい」という意識が集団の一部を劇的に速くする

要は誰と走るか

どれだけ自分を引き上げてくれるか

期待と失望を交互に見比べて、ひとり、またひとり、集団から抜けていく

一度集団から抜けるとさ、もう絶対追いつけない

背中がどんどん遠くなっていく

要は誰と走るか

どれだけ自分が期待できるか