時をかける表象

東大に2度落ちてもなお未だに浪人生をしているという学生の日記。記事と日記に分かれてます

2018/05/12 土曜日

例えば戦争の英雄に対して人殺しだとかなんとか言うのはまったくお門違いな話だと思う

その時代の価値観とか状況に基づいて人物評価を行うことが歴史学の本質だと思うし、過去を現代の物差しで測ってしまうのは間違いだと思うから

だから「昔の彼女と私、どっちが好きか」というありがちな質問に対して真の意味で即座に答えることは不可能だと思う

もちろん昔の彼女が「昔の人」になってしまうのには、なんらかの理由や事情があったわけで、今現在においての話だと後者の方が好きに違いないのはわかる

しかし、前者のことを好きだった時期も当然少しはあったわけで、それらを当時の目線で比べることは不可能だと思う

そもそも俺の考えだと、人間が誰かを愛せる力はその人が持っている人間力に比例する

ここでいう人間力とは経験や知識からなる人としての包容力、成熟さみたいなものである

経験や知識において人間は日々進化し続けるわけだから、そういう意味で今日が自分史上最高の自分だと思うし、そうあるべきだとも思う

だから昔の自分の、誰かを愛せる力が100だとすると、今では200にも300にもなってて、もしその時その時で全力で誰かを愛しているとするならば、見かけの数値で言えば100と200、でも実質の割合で考えると100%と100%の対決になると思う

しかも困ったことに幾つと数えられる愛は乏しいもので、結局数値化できないし、戦争の英雄の人物評価をする際のように当時の目線で考えることも難しい

昔の彼女を今思い返して出てくるものなんて、嫌だったこと、喧嘩したこと、馬鹿なんじゃないかと思ったことが大半である

今まで付き合ったほぼ全員に、なんかしらの許せないこと、許しちゃいけないような気がすることを抱えてしまっている自分がいる

というより後になって軽い気持ちで許してしまったら、怒ってた自分に申し訳ないと思えてくる

古代中国の前漢の時代、前漢の建国者である高祖の墓の前にある玉製の輪を盗んだ人がいた

今で言う裁判官は法律により公開処刑という判決を下したが、皇帝は一族まで皆殺しにすべきだと言った

その時その裁判官は「もし墓を荒らすというような、これよりももっと重い罪を犯す者が現れた時、あなたは一族皆殺し以上の刑罰を課せるのですか」と皇帝を諌めたらしい

今から2000年以上前の、皇帝の支配による古代国家でさえも客観的な法的措置が取られていたというのに、昔の彼女を評価するのに私情が入ってしまう自分の浅ましさに涙が出そうになった