時をかける表象

東京大学文科2類。記事と日記に分かれてます。

帰省2日目

今日は一旦予備校へ寄ってそれなりの挨拶を済ませた後に、彼女と合流した

まずは、結局一度も行けなかったレストランへ向かった

市内では割と有名なので何度かチャレンジしたことがあるが、店内が狭いこともあって並んでいるうちに断念してしまうことが多かった

オムライスが美味しいと聞いていたのでまずそれを頼んだ

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正直めちゃくちゃ美味かった

ビーフカツレツも頼んだが、これも本当に美味しかった

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一切れごとのジューシーさがマジで半端なくて、喉から肘が出るほど次も食べたくなった

そのあとスタバに行き新作を双子飲みした

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当然自分はホワイトの方が好きだった

これはちょうど1年前くらいにも思ったことなのだが、レッドの方は普通に飲んだらイチゴそのものっていう感じだけど、スタバに置いてある無料のミルクを2:3くらいの割合で入れて混ぜたら、宇宙一美味しいイチゴミルクになる

ここで注意して欲しいのは、無脂肪乳じゃなくて普通のミルクの方を入れること、ミルクを入れすぎないこと

そのあとはボルダリングをしたり、カラオケに行ったり、鳥貴族に行ったりした

この街は、本当にすることがない

というかもう長い月日の中で遊び尽くしたような気がする

あと行きたいところはレストランやカフェしか残ってない

今回は最初ということで近況報告も兼ねて帰省したが、来年から帰省することは少なくなるような気がする

両親に頼んで来年の春には関東に引っ越ししてもらう手はずを整えているので、もう帰省する家がなくなってしまうからだ

今年中は積極的に帰省するつもりではいるが、この街を拠点とするだけであって、これから行きにくくなる中国地方や近畿地方を攻略するのが主になる気がする

その拠点さえも来年の今頃には失われている可能性が高い

そう思うと途端にこの街に対する愛着が湧いてくるものなのだろうか

両親は福岡県出身で、自分も7歳までは福岡に住んでいた

小1の夏に父の仕事の都合でこの街に転勤になった

九州弁が飛び交う家庭で生まれ、関西弁が流れる教室で人格を形成してきた自分は、現在関東に住んでいる

多分これからも住み続けると思う

そうした時、自分の出身地はどこになるのだろうか

心の故郷はどこになるのだろうか

その何割くらいをこの街は請け負うのだろうか

個人的に興味がある

 

 

 

帰省1日目

玄関のドアを閉めた途端、逃避行が始まった

9割5分の期待とほんのちょっとの寂しさだけが入った、少し小さめで軽いスーツケースを引きずりながら品川駅を目指す

20時前後の山手線は人が多い

体を止めると同時に大量の人を吐き出す化け物と2番ホームで対峙し、今からこいつに乗るのかなんてことを考えていた

品川駅に着き、新幹線で飲み食いするものを買おうか、いやでも500mlのカルピスソーダを151円で買ってよいものかという葛藤の末、結局108円の天然水だけを買って新幹線に乗り込んだ

大学のトラベルセンターで数日前に買った指定席Aの上の棚には、無数のスーツケースが寝そべっていた

席に着くとすぐに新幹線は進み出し、一気に実感が湧いてきた

ここで寝てしまってもよいのか、と一人で新幹線に乗るといつも思う

貴重品を盗まれたらどうしよう、乗り過ごしたらどうしよう、と思ってしまう

それは考えすぎでっせ!と思えるような人間に自分もなってみたい

3時間だけ座っていれば目的地に着くわけなのだが、この膨大な距離を3時間で移動するようなスピードに自分の体がついていけないような気がしてしまう

目に見えない文明の圧力に晒されながら、いろんなことに思いを巡らせていた

車内にこれだけ人がいるのに、この一席だけは孤独の空間のような気がしていた

再会するということはまた帰りの列車に乗る瞬間が来るということでもあり、寂しさに向かって走っているような心地さえしてきた

きのこ帝国のクロノスタシスを聴きながら新神戸を過ぎると、車内にはほとんど人が残っていなかった

ボーカルの冷たくて暖かい声がエモすぎて、心の隙間を満たしていた

車内で読もうと思っていた本には一瞥も与えないまま姫路についた

 

日付が変わる前の駅前はうるさかった

渋谷の集合体的なやかましさとは違う、圧倒的な個のやかましさが押し寄せてくる

小雨の中、どうやって母の車まで行こうかと考えていると、見慣れた顔が目の前に現れた

高校の時に同じ陸上部の中距離パートだったその男と3分ほどの近況報告をかわしながら、傘に入れてもらって母の車を目指した

スーツケースを引きずりながら駅の構内を出た自分を追って声をかけてくれたらしい

久しぶりで予想外の再会だっただけに、少しうわずった声が小雨の音に紛れていたような気もする

母の車に乗り込むと、ひと段落つく間も無く晩飯の選択を迫られ、駅から車で数分のびっくりドンキーに行くことになった

日付をまたいでも店内に客は割と入っていて、いつものチーズバーグを食べている間、同世代の若い女がこんな時間まで働いていることについて考えていた

自分はまだこういう飲食店で本格的に働いたことはないし、多分向いてないんじゃないかとも思った

連休中の深夜にも働いている人はいるんだな、と改めて実感した

店を出て家に着くと、玄関がやたらと片付いていた

自分が帰ってくるからなのかと母に尋ねると、あんたが洋服を脱ぎ散らかさなければこんなに綺麗になる、と言って笑っていた

よく考えれば、今の自分の新居は足の踏み場もないほど服が脱ぎ散らかっていた

それに気づいた自分も、一緒に笑っていた

 

 

令和の自分へ、令和生まれの我が子へ

2019/04/30 火曜日

 

平成最後の日は朝から雨だった

久しぶりの学校は4限からだった

部活は雨なのに外練だった

初めて練習終わりのミーティングで喋った

元号が変わっても自分の生活が急変しないことは知ってるし、多分みんな知ってる

けどテレビのニュースも、Twitterやインスターのストーリーも、ドンキホーテの広告も、五月祭の店の名前も、みんな令和ばっかり

平成生まれの僕たちは元号が変わることを経験していない

昭和生まれの人たちも、人の死を伴わない改元を経験していない

昭和生まれの人はこれが最後の元号になるかもしれないし、自分もあと何回体験できるかわからない経験だと思う

そんな経験を、自粛を必要としない、祝福の気持ちだけを持って迎えられることにまず感謝したいと思う

よくわからないが、実はこれは凄いことなんじゃないか、と思っている

大きな高揚感と、ほんのちょっとの切なさとが混ざったこの感情の名前を自分はまだ知らない

いつか今日や明日のことを自分の子供に聞かれる瞬間が来るだろう

今まで自分の苦しかったこと、悲しかったこと、幸せだったこと、その全ては平成と共にあった

自分は平成という元号が好きだ

両親は昭和の方が好きだと言っていたが、多分人生で最も濃い時間を過ごした期間の元号が昭和だからだと思う

自分にとってそれが平成なのか、令和なのか、またはそれらとも違うものになるのかはわからない

しかしお父さんが初めて改元を経験したのは、東京大学に入学したての頃だったんだぞ、といつか言うことになると思う

そして令和の最初の4年間は、自分にとって、多分人生の中で大きな転換点になると思う

いつか自分の世代に対する形容の仕方として「激動の令和を生き抜いた世代」なんていう言葉がニュースやワイドショーで取り上げられたりもするかもしれない

令和という時代が何年続くかはわからないが、今この場で心機一転する必要があると思う

自分はこの大学で、目標を達成する力を養いたいと思う

部活動を例にとっても、周りの部員がどのように自分の目標を達成していくのか、それに対してどのように取り組んでいくのかにかなり興味がある

激烈な受験を勝ち抜き、知力と精神力は人一倍あるはずの東大生がどのように目標を達成していくのかを知ることは、たとえその目標が自分よりも低かったとしても、自己改革の一翼を担う要素になると確信している

ほとんどの東大生が自分と同等、あるいは自分よりも優秀で、そんな人間の目標への取り組み方を、自分が最も精通している陸上競技という分野で確認することができる

部活動以外でもさまざまな取り組みに積極的な東大生を間近で見ることができる

これは今後自分が何かを達成する上で、そのまま流用できる実戦的なサンプルになると確信している

こんな4年間を過ごすことができることにまず感謝したい

これが平成を終える平成生まれの、令和への期待であり抱負である

そして後先考えずに突っ走ってきた時代の反省をし、令和生まれの人々のためにより良い社会を作りたいと思う

新しくて、未知が広がる新時代を生きる人間として、今日この日にそう思った

バレンタイン

2019/04/24 水曜日

 

今日で1年10ヶ月だった

会えなくなって1ヶ月くらいになる

もう少しで季節を二巡することになるのか、と思いながら、カメラロールを振り返ると今年のバレンタインの写真が出てきた

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バレンタインは2回とも受験前だった

今年は去年の反省を踏まえて量を減らし、自分が好きな味を追求して作ったと言っていた

確かに去年よりも難なく食べられたし、普通に美味しかった

いや当然去年も美味しかったのだが、なんせ量が多くて、消費するのに数日かかった気がする

ちなみにこれが去年もらったチョコ

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去年は過去の経験から1番自信があるものを作ってきた、見栄えより味を重視したと言っていた

自分が何かを作って誰かに渡した経験が乏しいからか、こういう時にどういう反応をしたらいいのかがわからない

率直に自分の感想を述べた方がいいのか、少しオーバーにでもオイシカッタ!マシソヨ!とだけ言った方がいいのか、いつも悩む

個人的には前者を採用したいし、するべきだとは思うが、なんせ作っている側の人間は相手に喜んでほしくて無償の努力をつぎ込んでいるのだから、問題は思ったよりも複雑である

確かにめちゃくちゃ美味しかったけど、当然店頭に並んでいるものには劣るわけで、それなのにオイシカッタ!なんて言うのは、なんか嘘くさいような気がしてしまう

要は関係性を短期的に見るか長期的に見るかの違いだと思う

当然オイシカッタ!とだけ言っておけば友好的な関係が維持できることは知っているし、初めて会った人、もうこれから会うことはなさそうな人に対しては、自分も当然そうしているはずだ

しかし、これから先ずっと貰うかもしれない相手には特に率直な意見を述べるべきだと思う

ここでいう意見は、味の感想とかではなく、どういうものが好きで、次はどうして欲しいのかというのを明確にすべきだということである

それは、絶対そんなはずはないのに「お店で食べたのよりオイシカッタ〜」みたいな安直な感想で女のご機嫌を取るような男に対して、うわこいつやってんなと思ってしまうからだけでなく、そういう消極的な意思表示をすることは相手に対して失礼だと思うからである

自分だったら思っていることを言って欲しいし、それを参考にしたいし、なにより相手が無理をして喜んでいることが許せない

貰った側も「実はこれあんまり好きじゃないんだけどな」とか「これなら、もっとああいう風にしてほしいな」とか思うのが何度も重なるのは厳しいものがあると思うし、よほど鈍感な人間じゃない限り、相手もそういうのは微妙に勘付くものである

そして最大の理由は、ここでオイシカッタ!の安売りをして、相手の成長を止めてしまってもよいのだろうか、ということである

自分が出来る限り具体的な講評をするように努めることで、相手も出来るだけ目標を絞って作れるようになることが長期的にはお互いの幸福度を高める結果をもたらすのではないか、といつも思っている

まぁチョコに似合わないほどの辛口コメントをすることで、長期的な目線を必要としなくなる結果に終わってしまっては意味がないのだが

そこがやはり難しいところである

 

NHK税を導入したい

2019/04/23 火曜日

 

自分がNHKについて思うのは、どうしてNHKの受信料を何かしらの税に組み込まないのか、ということである

自分は一応受信料を払っているが、「俺は払ってない」「テレビないです、みたいなことを言って何分か粘ったらイケる」みたいなことを堂々と言うような人間を見ると腹が立つ

みんなが払っているならまだ納得はできるが、払ってない人がいる以上は相対的に自分が損をしていることになるからである

大体、この時代にわざわざ一軒ずつ訪ね歩いて、「テレビ見ないんで」『いやでも見なくてもテレビがあれば』「いやテレビないんで」『テレビがなくても携帯なんかで番組は見れますし』なんていう掛け合いを済ます必要が本当にあるのか

しかもキレ気味で押せば払わなくても済むような、そんなガバガバガバナンスならなおさら必要がないような気もする

それならいっそ放送料を税金として所得税みたいに徴収したらいいんじゃないか、と思う

実際、そいつがテレビを持っているか、持っていたとしてNHKを見ているかどうかなんてことを正確に把握することは不可能だし、このままだと真面目に払っている人間が損をするだけなので、一括で義務化したらいいと思う

まぁ多分もっと早くにこの案を思いついた人はいるだろうが、まだ実行されてないのには理由があるはずなので、それを自分なりに考えてみた

 

まず1つ思いついたのは、「もし一括で徴収すると、本当にテレビを持ってない人が損をするんじゃないか問題」である

確かにテレビと無縁な生活をしている人にとっては理不尽な税金かもしれないが、それはNHKに限った話ではないように思う

例えば国立大学は税金のおかげで成り立っているが、国立大学に通っていない生徒はその恩恵を直接的には享受してないことになるし、生まれて一度も警察に世話になったことのない者、公園に行ったことない者ももしかしたらいるかもしれない

あなたに子供がいなくてもあなたの税金は子供手当に消えていくし、それを受け取った親はその金で車を買ったりしているかもしれない

それらの人にとってその税の使い道は自分とは無関係のように思えるが、大学や警察が存在するおかげで社会全体の幸福度が増すことで間接的に恩恵を享受しているとも言えるのではないか

NHKを直接見ていないとしても、それを情報源とするネットニュースを見ていないとも限らないし、NHKの高校講座を見て育った学者が偉大な発明をして人々の生活を変えるかもしれない

NHKの存在がどこまで人々の生活に関わるのかはわからないが、直接的な恩恵を享受できない人がいるからといって必要がないとは言い切れないのではないか、と思った

あと一つ思いついたのは、「税金という形をとって受信料を集めると、予算を承認する国家の介入を防げないんじゃないか問題」である

確かに翼の生えた政治団体のおかげで偏向報道が増えた民放のテレビ局があるように、国営放送も国家の介入を防げないかもしれない

しかしそれはビール会社の提供でお送りされている民放のテレビがビールの弊害について触れないのと同じようなことではないのか、と思う

もっと言えば、国家の介入がないことが必ずしも良いことなのかという疑問もある

深夜の時間帯に放送されているマイナー言語のラジオ講座の視聴率がどれほどなのかを知りたい

何かのグループのメンバーみたいに、NHKの番組でも不祥事はあるわけだし、本当に受信料に見合ったコンテンツなのかに対する透明性が十分だとは思えない

さらに、税金化にすることで徴収員の人件費が減るうえに漏れなく回収できるという最大のメリットを考慮に入れると、どうするべきかは明白なような気もするのだが、今日も死んだ目をしたお兄さんと対峙しなければならないのが現状である

怪我と無縁な集団

2019/04/20 土曜日

 

10時からの練習を忘れていた自分は、9時15分ごろにベッドから飛び起きた

急いで支度をして駅までの道でウォーミングアップを済ませ、最寄りのスーパーでバナナを買って電車に飛び乗った

練習前にバナナを食べるべきかどうか、もし食べるとしたら電車の中で食べてもいいのか、そんな馬鹿なことを考えながら駒場グラウンドに着くといつもより多くの人がすでに集まっていた

今日は記録会があるので中長距離の人はそちらの方に行っているようだが、全パート合わせるとさすがに人数は多い

中長距離の1年生は全員で30〜40分近く走るのがいつものメニューで、個人的にはあまり好きではない

そもそもフォームの関係でゆっくり長く走ること自体が苦手というのに加えて、せっかく新装のタータンがあるのに芝生やロードを走るのに対して、どうしてももったいないような気がするからである

これは中高の時に毎日競技場で練習することができなかった弊害だとも思う

今日は30分間みんなと走った後は、1人の先輩と一緒に200m×8をやった

ペースは30秒を切るくらい、間は200mを歩く感じで、割としんどかったが何とかついていけた

ブランクがあるにも関わらずシーズン序盤から飛ばしすぎなんじゃないかと自分でも思うし、多分先輩たちはもっとそう思っているだろうが、焦らないことと厳しい練習をしないことは同値ではないように思う

そう思っていること自体が怪我フラグを立てる四月病の発症なのかもしれないけど

自分は6年間の陸上生活の半分が怪我をしていたが、その理由はなんとなくわかる

全ての構成員に対して怪我が起きにくくするシステムみたいなものが機能している集団に自分は属したことがないし、多分そんな集団は少数だから、怪我は全て自己責任のような風潮があるが、実際には周りの目を気にして怪我をすることも多いような気がする

人数が多くて規律の厳しい強豪校は特に、ここで休んだら顧問や先輩に怒られるから、みたいにあくまでも自主的に無理をしてしまうケースが多いと思う

この大学ではそういう風潮とは無縁だと思うが、問題はそれだけではない

みんなと同じレベルを構成員の大半が目指すと集団のレベルは少し底上げされ、みんなより少し高いレベルを一部の構成員が目指すと集団のレベルは格段に上がるのだと自分は思っている

しかし集団内の競争率が激しくなると相対的に頑張らざるを得ない状況に近づいていくのも事実なので、集団全体が怪我から遠ざかりながら、かつ集団全体としてベクトルを上向きに保つのは案外難しい

練習が終わるタイミングが人によって異なるので全員に十分なクールダウンを強いるようなシステムも構築しにくいし、実際プロ並みに意識が高くない限りは、強制されないとケアを怠りがちな人間は多いと思う

少なくとも自分はそうだと断言できる

三者の誰かがクールダウンスタンプラリーみたいなものでも作って、夏休みのラジオ体操みたいに各選手のクールダウンを厳正に審査し、スタンプを押してもらった人から帰宅できるようなものがあればいいなと思い、これはクールダウンの自己申告制を打破するような素晴らしいアイデアだと高校生の自分は心の中で思っていた

誰よりも協調性のなかった自分がこれを提案すると、場所取りや片付けなど、別の何かについて非難されるかもしれないと思ったので提案はできなかったのだが

だから「違和感があるので少し休みます」を通用させるためにも、自分が生半可な気持ちで競技に携わっていないとアピールする必要があると感じた

とりあえず入部するからには怪我と無縁の4年間を送ることを第一の目標として掲げたい

 

東大生のアイデンティティ

2019/04/19 金曜日

 

今日は3限からなのに7時に起きてしまった

1限があるのに8時に起きた昨日とは打って変わって、必要ないときに限って早起きをしてしまうのは何故なんだろう

受験勉強が嫌だと言っている大学生ほど、朝刊に載ったセンター試験を自主的に解き、嫌々やっている部活から解放されるテスト期間に無性に部活に行きたくなるのと同じような気がする

人は何かを強制されている内は、それに対して快く思わないことも少なくないが、急にそれから解放されると、何故かそれに引き寄せられるような心地がする

まるで無意識のうちに調教されていたかのように

こういうアメとムチを上手く使い分けられるような非情な人間ほど、世間から見れば立派なリーダーになっていたりするのではないか

もう散ってしまった桜の木を窓から眺めながら、電車でこんなことを書いている

 

多分、自分は陸上部に入る

何故なのかはわからないが、高校入学時も結局入部した

自分が部員の時はもう絶対引退したら走らないだろうな、と思うのだが、いざ合格して春休みになると、無性に走りたくなる

何がそうさせるのかはわからないが、自由にしていいよと言われると袖を掴みたくなるような、DV男みたいな競技をまた始まることになりそうだ

元々サークルなんかに入る気はなかったし、部活をやるなら陸上部しか考えられなかったので、何も入らないか陸上部に入るかの二択だったのだが、なぜ自分が入ろうと思ったのかについて後付けで理由を考えてみた

 

東大に入って自分のアイデンティティが一つ失われたから、というのが1番有力な説のような気がする

東大にいると、「東大生である」「勉強ができる」という自分のアイデンティティが相対化されるにも関わらず、「周りの東大生はすごい」と思わされるという、矛盾した感情に押しつぶされそうになることがよくある

しかし周りを見ていると、東大に行くことが当たり前のような超進学校の生徒は、もっと前にこういうアイデンティティの喪失を経験しているような気がする

その証拠に、授業や部活や新歓パーティなどの様々な局面で「初対面から存在感がやかましい」人間はあまり聞いたことのない高校出身の方が多い気がする

もちろん超進学校の出身者が7〜8人集まって騒いでいることも多いが、今言ってるのは大勢の人がいる場でやたらと声が大きかったり、反応がやかましかったり、聞いてもないのにやたらとマウント取ってきたりするタイプの人についてである

いやこれは完全な主観だし、それが悪いとは全く思わない、むしろ自然な行動だと自分は思っている

あと多分この現象は、高校の同級生が少ないから大学デビューがしやすいことに起因するのではないか、とも思う

勉強で勝てないから不真面目マウント路線にシフトしたのかもしれない

「俺、授業中ずっと寝てたから」的な発言もよく聞くし

暗かった高校時代を取り戻すためなのか、もしくは輝いていた高校時代が奪われることに恐れているのかはわからないが、何か焦っているようにも見える彼らが6月ごろにどういう様子になっているのかは個人的に興味がある

結局、「○○な東大生」になりたがっているのではないか、そのために髪や服装に気を配り、何かしらの集団に属し、解放された今までの人生の袖を掴むように過去に執着してアイデンティティを求めているのではないか

執着した上で踏襲するのか自己変革に至るのかは人によって異なると思うが

それが無駄にチャラそうだったり、やたらと頭おかしそうに見せている人間を生んでいるような気がする

自分が入部を決意したのもその類のことなんじゃないかと思った

同学年に知人が数人しかいない中で、今まで自分がやってきた中で1番得意なものに喪失したアイデンティティの一翼を担わせたのではないか、と思った

もちろん陸上は普通に好きだけど、学業やバイトや時間的制限を考えた時に悩んだのも事実だった

質問に答えてくれる人も大勢いたが、最終的に背中を押したのは過去の自分だった、ような気がしている